建設会社のテレビCMは本当に若者に刺さっているのか?

ここ数年、建設会社のテレビCMが増殖している。「地図に残る仕事」「未来をつくる人たち」「街を守る技術者たち」——感動を狙ったコピーが茶の間に流れ続ける。画面には青空と重機、真剣な技術者、そして笑顔の社員。BGMはピアノかストリングス。企業ロゴがフェードインして終わる。どこかで見たような30秒が、今日もどこかのテレビ局で流れている。
大手・準大手建設会社15社の広告宣伝費の合計は、2014年度の約52億円からほぼ右肩上がりで増え続け、2023年度は約147億円に達した。直近10年間で3倍近くに膨らんだ。俳優やアニメキャラクター、スポーツ選手を起用し新たにテレビCMに参入する建設会社は後を絶たない。これだけ見れば、建設業界の広告投資は絶好調に見える。
だが、そのメッセージは本当に誰かに届いているのか。届いているとして、それは誰なのか。そしてそのCMに投じられた数千万円、あるいは数億円は、誰の利益になっているのか。
データと構造から解剖すると、見えてくるのは奇妙な非対称性だ。広告代理店とテレビ局が最も確実に恩恵を受け、発注者である建設会社はリスクだけを背負う。そして若者は、そもそもテレビを見ていない。
目次
- 「売上」のためではない──建設業がCMを増やした本当の理由
- 「奥村くみ」の成功が業界に巻き起こした模倣の連鎖
- 致命的な前提の崩壊——若者はそもそもテレビを見ていない
- 就活ファネルの解剖——CMが機能するのは最初の一歩だけだ
- スーパーゼネコンの「余裕の投資」vs 中小零細の「追い詰められた出費」
- 誰が一番儲かっているのか——この構造の真の受益者
- 「フワっとした綺麗事CM」が若者に届かない、3つの構造的理由
- 「綺麗事CM」は逆効果になりうる——ミスマッチ採用と早期離職の温床
- 若者に「刺さるCM」の設計——正解はすでに出ている、やる会社がいないだけだ
- 考察——「奥村くみ」はなぜ別の次元の問いを立てているのか
- 建設会社の経営層、広報担当者へ、いま本当に必要な問い直し
「売上」のためではない──建設業がCMを増やした本当の理由
まず前提を確認しておく必要がある。建設業の広告の多くは、売上への直接貢献を狙っていない。
2024年4月に建設業に対して残業時間の上限規制が適用され、人材不足に拍車がかかっている。とあるメディアの経営動向調査では、人材不足を解消するための対策を尋ねたところ、回答した70社のうち58社が「新卒・中途採用の強化」を選択した。また、採用を有利に運ぶうえで広報活動を強化したいかを尋ねると、回答企業の94%が「そう思う」または「どちらかといえばそう思う」と答えた。
つまり、これだけの数字が示すのは一点だ。建設業のCM増加は景気の好調ではなく、構造的な人手不足への焦りから来ている。CMは営業装置ではなく、人材確保のための看板として機能し始めた。
建設業の発注構造を考えれば、CMが受注に直結しないことは自明だ。大型案件の発注者――官公庁、デベロッパー、大手建設会社――は入札・実績・技術力で業者を選定する。CMを見た担当者が「この会社、テレビに出てるから頼んでみよう」と翻意することは、構造的にほぼあり得ない。
にもかかわらず、CMが増えるのは、発注者へのアプローチではなく、就活生と親世代、そして社員の家族に「この会社は大丈夫そう」という空気を醸成するためだ。
CMは営業ではなく、信用のインフラに近い何かだ。官公庁やデベロッパーへの安心感、社員の家族への安心、就活生の心理的ハードルを下げる効果。これらはいずれも数字で測れないが、確かに存在する。問題は、その「確かに存在する」という感覚が、過大評価を生み続けているという点にある。
ここで指摘したいのは、広告費の対売上比率だ。建設業の広告宣伝費の売上高比率は概ね0.3〜0.5%程度にとどまり、サービス業(おおむね3〜7%)、情報・通信業(3〜6%前後)と比べても大きく低い水準にある。
「攻めの広報」を掲げる奥村組でさえ0.3%台後半とされ、大手ゼネコン各社(0.1〜0.3%台が中心)と比べれば高い水準にあるものの、業界全体で見れば突出しているわけではない。絶対額が膨らんでいるとはいえ、建設業のCM投資は依然として他業種と比べると抑制的だ。裏を返せば、それでもこれだけ話題になるということは、建設業界がこれまで、いかにテレビCMと疎遠だったかを物語っている。
「奥村くみ」の成功が業界に巻き起こした模倣の連鎖
建設業CMの現在を語る上で、奥村組の「建設LOVE!奥村くみ」シリーズを避けて通ることはできない。
広告宣伝費はCM放送前の毎年1億円前後から、放送開始後の2018年3月期には前期比362%増の6億3800万円に急増した。2024年3月期には放送前の約10倍となる10億1700万円に達している。これは中堅の建設会社としてはかなりの投資規模だ。
その結果はどうだったか。2024年の業界調査で参考にしたい他社の広告を尋ねたところ、32社中13社が奥村組の名前を挙げ、売上高で勝る大手・準大手を相手に圧勝した。業界内での模倣欲求という意味では、奥村くみは紛れもなく成功だ。
しかしここで立ち止まる必要がある。奥村組自身は採用効果についてどう評価しているか。同社担当者は「テレビCMの費用対効果を具体的な数字で示すのは難しいが、知名度向上はもちろん、リクルート面でも手応えを感じている」と語る。
「手応えを感じている」——これは肯定でも否定でもない、巧妙に曖昧な言葉だ。10億円超を投じた広告の効果が「手応え」という感覚値でしか語れないとすれば、それはROIが定量的に示せないことの婉曲表現でもある。そして、業界内でこれほど模倣されているCMの効果が「測れない」という事実こそ、この問題の核心を突いている。
奥村くみシリーズは確かに他の建設CMと一線を画す。2024年の新シリーズでは「新3K+K」——給与が良い、休暇が取れる、希望が持てる、かっこいい——を訴求し、若者の偏見を払拭する設計になっている。テレビ画面の中で「建設業はキツい・汚い・危険」と言い放つ男子学生に対して奥村くみが「違います!」と割り込む構成は、少なくとも3Kイメージの問題を正面から取り上げている。
だが、根本的な問いは残る。そのCMを、採用したい若者は見ているのか。
致命的な前提の崩壊——若者はそもそもテレビを見ていない
建設業のCM論争は、ここで根本から揺らぐ。
ある研究所の2024年調査によれば、ニュース情報を得るメディアとして、10代・20代ではソーシャルメディアがトップとなった。30代以上ではテレビが最多だが、若年層ほどSNSへの依存度が高い構造だ。
これは情報収集のメディアの話だが、採用という文脈ではさらに明確なデータがある。若者世代を対象にした調査によると、採用の動画広告を見たことがある媒体として「SNS」が5割以上と最多で、「テレビ」と答えたのは約2割弱に留まった。また、業界研究を行う際に見たい採用動画のコンテンツとして「働いている風景」が31.1%と上位に入った。
つまり、就活において採用関連の動画コンテンツを見るとき、若者の過半数がSNSで見ており、テレビで見る割合は2割弱だ。建設会社が数億円を投じてテレビCMを打っても、就活中の若者の採用情報接触という観点では、主要な媒体にすら入っていない可能性がある。
さらに踏み込んだデータがある。就活生を対象にした調査では、SNSで特定企業の仕事内容や働き方に関する発信を見て、その企業に興味を抱いた経験が「ある」と回答したのは情報収集期で53.5%、意思決定期で50.8%にのぼった。意思決定期にSNSの情報で入社意向度が上がったと答えた学生は約8割だった。
この数字が意味するのは、採用の意思決定プロセスにおいてSNSが決定的な役割を担っているということだ。テレビCMは、このプロセスのどこにも位置していない。
特に注目したいのは、このメディアのズレが単なる「若者のテレビ離れ」という話ではないという点だ。採用という具体的な文脈で、若者世代は意識的にSNSを使って情報を深掘りし、企業の実態を確認しようとしている。テレビCMは入口にすら立てていないのに、建設会社はそこに予算の大半を投じている。
就活ファネルの解剖——CMが機能するのは最初の一歩だけだ
ではテレビCMは採用において無効なのか。そうは言わない。ただ問題は、その「効く範囲」が極めて限定的であるにもかかわらず、過大に評価されているという点にある。
若者の就職判断プロセスを段階的に分解すると、
①知る(認知)→②調べる(情報収集)→③比較する→④志望する→⑤応募する
という流れになる。CMが機能するのは①の段階だけだ。「この会社の名前は聞いたことがある」「なんとなく良さそうな会社っぽい」——この程度の印象形成だ。あくまで「裾野を広げる」にとどまる。
入社を最終的に決める②〜④のフェーズでは、給料・働き方・現場のリアル・社風・成長性が判断軸になる。そして就活生はタイムパフォーマンスを強く意識しながら、SNSを活用して企業情報を効率的に収集している。この深掘りのフェーズに、テレビCMはほぼ関与しない。
ある就活生は、「SNSで志望企業社員の個人アカウントを見て、仕事の内容やその人の価値観を確認していた」と語っている。「就活生向けに情報発信しているわけではなく、あくまでもプライベートなアカウントだから、社員の本音が分かる」と説明している。
ここに本質がある。若者世代が就活で求めているのは、企業が演出する「公式メッセージ」ではなく、フィルタリングされていない「社員のリアル」だ。テレビCMは構造的に公式メッセージしか発信できない。そして若者は、その公式メッセージをスキップして、SNSで社員の本音を探しに行く。
CMの正確な位置づけはこうだ——「採用の入口の入口」。知らない会社は候補リストに入らない。CMはその一点だけを改善する。しかし最終判断において、条件が悪ければ選ばれず、現場がキツそうなら避けられ、他社に負ければ終わりだ。CMは土俵に上がる資格を与えるだけで、勝負には関与しない。
建設会社のCMは「採用ツール」ではなく「除外防止ツール」だ。これは機能の否定ではなく、機能の正確な定義だ。問題は、この限定的な機能に対して数億円の投資が正当化されているかどうかにある。
スーパーゼネコンの「余裕の投資」vs 中小零細の「追い詰められた出費」
同じ「建設会社のCM」でも、スーパーゼネコンと中小零細では、CMの意味がまったく異なる。同じ広告フォーマットを使いながら、戦略・効き方・ムダの出方がまるで違う。
スーパーゼネコン(鹿島・大成・清水・大林など)にとって、CMは社会的地位の維持装置だ。発注は入札・実績・技術で決まるから、CMで仕事は来ない。営業装置ではなく、「この会社なら大丈夫そう」と思わせるブランドインフラだ。
知名度は上がり、採用の母集団は増える。受注への影響はほぼゼロだが、それで構わない。「ゴールデンタイムでCMを打つ=一流企業」という文脈が既に社会に埋め込まれており、「やめると落ちた」と見られる。数億円の広告費は、利益体力があるゆえに成立する戦略的コストだ。効果が曖昧でも許容される。
一方、中小零細(地場ゼネコン・工務店)にとってCMは、生き残りのための懸命な努力だ。目的は知名度不足の解消、採用、地元での存在アピールだ。「誰にも知られていない」という問題を解消するためのCMは、ゼロから1を作る戦略として一定の合理性を持つ。しかし、1から10に伸びる保証はどこにもない。
大手ハウスメーカーでさえ、売上高に対する広告宣伝費の割合は大和ハウスで0.6%、積水ハウスで0.8%程度だ。それでもテレビCMやモデルハウス常設といった施策を展開できるのは、売上規模があるからだ。中小零細ではそのスケールは難しく、広告宣伝費が経営を圧迫しないことが基本になる。
この対比が示す非対称性は残酷だ。スーパーゼネコンにとって曖昧な効果は許容範囲だが、中小零細にとってROIが測れないことは致命傷になりうる。同じ「効果が曖昧なCM」でも、ダメージの深度がまったく違う。同じCMでも、ゼネコンは「余裕の投資」、地方は「追い詰められた出費」——この一行が両者の本質的な差を言い尽くしている。
誰が一番儲かっているのか——この構造の真の受益者
ここが最も重要なポイントだ。CMを打つ建設会社の収益改善が不明確な中で、確実に利益を得ている者がいる。
広告代理店は、制作費・メディアバイイング・コンサル名目で確実に利益が出る構造を持つ。奥村組の「建設LOVE!奥村くみ」シリーズは電通が制作しており、クリエイティブディレクター、CMプランナー、複数のAE(アカウントエグゼクティブ)、プロデューサーが関与している。
このスタッフ構成を見るだけで、一本のCMにどれほどの人件費が積み上がっているかが想像できる。成果が出なくても、制作費は確定する。テレビ局はスポットCM収益を得る。地方局ほど建設業CMへの依存度が高く、この市場の縮小は局の経営に直撃する。
電通が発表した「2024年 日本の広告費」によれば、地上波テレビCM制作費は1997億円(前年比100.8%)となった。テレビ広告は人材確保のための企業広告や人材系業種の出稿が増えていると分析されている。
つまり、建設業に代表される「採用目的のCM」が、テレビという減少トレンドのメディアを下支えしている構図が見える。建設会社が人手不足の焦りからCMを打ち続けることで、テレビ局と広告代理店は安定した収益を維持できている。
唯一リスクを取っているのは建設会社だ。成果は不明確なまま、費用だけが確実に出ていく。
なぜそれでもやるのか。ここには社内政治という、数字では見えない力学が働いている。CMは「分かりやすい成果」として機能する。社長や役員に説明しやすく、「広告やってます感」が出る。採用がうまくいかなければ「CMは打ったが景気が悪かった」という言い訳が成立し、採用がうまくいけば「CMのおかげ」という因果が帰属される。検証不可能な施策は、組織の中で責任回避装置として優秀に機能する。
さらに、同業他社がCMを打ち始めると「やらないと負け」という心理が働く。奥村組の成功を見た13社が「参考にしたい」と答えた事実は、業界全体でCM競争が連鎖的に起きていることを示している。これはもはや戦略的判断ではなく、完全にゲーム化した競争だ。
「フワっとした綺麗事CM」が若者に届かない、3つの構造的理由
「人を大切に」「暮らしを支える」「技術者のプライド」——建設会社のCMは構造的に抽象的な企業CMに寄りがちだ。商品を売るのではなく、理念・姿勢・想いを伝える設計になっているからだ。しかし問題は、そのメッセージが誰に刺さっているかにある。
第一の理由は、ターゲットである若者にリーチすらしていないことだ。前述のとおり、採用情報を動画で接触する就活生の過半数がSNSを主要媒体としており、テレビは2割弱に留まる。届いていないのに「刺さっていない」と嘆くのは、前提が間違っている。
第二の理由は、若者が反応するコンテンツと正反対であることだ。若者世代は「押し付けられる情報」や「嘘くさい演出」を敏感に察知し、テレビCM的な一方的発信、タレント頼みの広告、過度な演出や美化は「リアルじゃない」として見抜かれ、スルーされがちだ。
一方で、友人のリアルな声や、自分と価値観が近いインフルエンサーによる本音の発信には高い反応を示す。
「リアルじゃない」——この評価は建設CMにとって致命的だ。数千万円をかけてロケを行い、人気俳優を起用して制作した30秒のCMが、スマートフォンの画面でスキップされる。一方でSNSに流れてくる現場職人のリアル動画は、コストゼロでバズる。この逆転現象は、メディアの問題であるとともにコンテンツの問題でもある。
第三の理由は、社内承認プロセスが往々にして一番つまらない案を選ぶことだ。「理念」「社会貢献」は誰も否定できない。リアルな労働現場を映せば炎上リスクがあると判断され、広告代理店も泥臭いリアルを広告として扱いにくい。社内の複数のステークホルダーが関与する承認プロセスでは、尖った案が削ぎ落とされ、最も安全で最も刺さらないCMが生まれる。
これは建設業に限った話ではないが、「3Kイメージを払拭しなければならない」という前提があるゆえに、建設業ではこの傾向が極端に出やすい。
奥村くみシリーズが業界内で高評価を得ているのは、この罠を部分的に回避しているからだ。「新3K+K」という具体的な訴求、シリーズを通じたキャラクター成長の描写、「建設が好きだ」という能動的な感情の表現——これらは、漠然とした「社会貢献CM」よりずっと具体的だ。
しかし、若者のリアルな就職判断基準——初任給はいくらか、残業は何時間か、休日は何日か——に直接答えるコンテンツではない。
「綺麗事CM」は、若者を動かすためのものではなく、会社を良く見せるための儀式になっている。
「綺麗事CM」は逆効果になりうる——ミスマッチ採用と早期離職の温床
建設会社の感動系CMには、採用の効率を悪化させるだけでなく、入社後の早期離職を加速させる危険がある。根拠は複数の研究と統計から構成される。
まず離職の大前提から確認する。厚生労働省のデータによれば、新卒者の3年以内離職率は高卒で37.0%、大卒で32.3%だ。この割合は長期的に30%台で推移しており、新卒入社の3人に1人以上が早期離職している。
この早期離職の主因は何か。マイナビの調査によれば、早期離職の主な原因は「職場の雰囲気や人間関係とのミスマッチ」と「入社前に想定していた仕事内容と実際の仕事内容との相違」に集約される。選考を受けていたときにイメージしていたものと、入社後に体験するものとのギャップが早期離職につながっている。
さらに重要なのは、いわゆる「リアリティ・ショック(理想と現実の違いに大きなショックを受けること)」だ。企業側の過度な採用ブランディングや説明不足が原因で発生し、これが採用ミスマッチにつながる。
CMで理念や社会貢献を盛り、仕事のキツさや現場の実態を薄めるほど、このリアリティ・ショックの落差は大きくなる。建設業はそもそも、このギャップが生まれやすい業界だ。建設業の月間労働時間は163.5時間で、調査対象産業全体平均の136.1時間と比べると30時間近く多い。このデータを「新3K+K」のCMで視聴した若者に伝えることは、矛盾に等しい。
業界全体が「3K(きつい・汚い・危険)」イメージを払拭しようとCMを打っている一方で、実際の労働時間は他産業平均を30時間近く上回っている。CMが期待値を高めるほど、入社後の落差は広がるというわけだ。
採用ミスマッチを防ぐ方法として、仕事の良い面だけでなく悪い面も含めて伝えるRJP(リアリスティック・ジョブ・プレビュー)の有効性が指摘されている。これは、CMの設計思想と真逆の発想だ。CMは本質的に良い面を強調し、悪い面を隠す媒体だ。採用ミスマッチを防ぐためのRJPとテレビCMは、目的が根本的に相容れない。
要するに、建設会社の綺麗事CMは採用を良くするというより、ミスマッチを増幅させる「危険物」と見なせる。若者はCMの美辞麗句ではなく、休日・残業・配属・現場の空気・育成・給料を見る。そこを隠して好感度だけ取りにいく広告は、入社前には効いているように見えて、入社後にまとめてしっぺ返しを食らう。広告代理店には都合が良いが、建設会社にとっては「短期の見栄えと引き換えに、長期の信用を削る施策」になりやすい。
若者に「刺さるCM」の設計——正解はすでに出ている、やる会社がいないだけだ
建設会社が「若者採用」を本気で狙うなら、テレビCMは「綺麗事」をやめて、①リアル、②具体、③ベネフィットの3点を露骨に出す内容にしないとほぼ意味がないと推測される。今のCMはこの3つが全部欠けている。
若者世代が業界研究を行う際に見たい採用動画のコンテンツとして、「働いている風景」が31.1%と上位に入った。若者が見たいのは「建設業界の使命感」ではなく「実際に働いている現場」だ。この答えはすでに出ている。
テレビCMで若者採用を本気で狙うなら、やるべき内容は5点に絞られる。
第一は、現場のリアルをそのまま出すことだ。朝何時に集合して、実際の作業(重機・施工・測量)がどんな音と匂いと汗の中で行われているかを、編集で「カッコよく」する前の状態で映す。SNSで伸びているのがこれだから、若者の興味領域と一致している。
第二は、給料・待遇を数字で出すことだ。「適正な給与」という標語ではなく、初任給の実額、5年後の年収レンジ、資格取得後の収入、休日数、実際の残業時間——これらを数字として画面に出す。若者が見るのは「条件」であって「理念」ではない。
第三は、成長ルートを可視化することだ。入社1年目に何をやるか、3年目に任される仕事は何か、10年目の年収と役職はどうなるか。「この仕事で人生がどうなるか」が判断軸になっている若者世代にとって、成長ロードマップは「地図に残る仕事」というコピーより100倍具体的だ。
第四は、若手社員の素の声を使うことだ。「正直キツいです。でも〇〇がいい」「辞めようと思ったことがある」——若者世代は「嘘くさい演出」を見抜き、スルーする。磨き上げられた証言より、ガタガタした本音のほうが信頼される。
第五は、技術のカッコよさを見せることだ。重機操作、ドローン測量、大規模施工のスケール感——これらは「かっこいい」と再評価されている。問題は、テレビCMでそれを見せる機会を作っていないことではなく、見せ方が「社会貢献の文脈」に押し込まれて、純粋な技術の迫力を潰していることだ。
逆に、なぜこれをやる会社がほぼ存在しないのか。理由は3つだ。
キツさを見せれば「人が来ない可能性がある」「労働環境への突っ込みを受ける」というリスク回避が働く。「夢がない」「ブランドに合わない」という社内の反発がある。広告代理店が泥臭いリアルを「広告」として扱いにくい。
さらに本質を言えば、テレビCM単体では限界がある。就活生はSNSで企業の仕事内容や働き方に関する発信を見て、その企業に興味を持った経験が「情報収集期」で53.5%、「意思決定期」で50.8%にのぼり、意思決定期にSNSの情報で入社意向度が上がったと答えた学生は約8割だった。
若者の意思決定プロセス全体をカバーするには、テレビCM単体ではなく三点セットが必要だ——テレビCM(認知・入口)+YouTube・TikTok(リアル・理解)+採用サイト(条件・判断)。テレビがやるべきことは「入口の認知」のみであり、それ以上の役割を期待するのは設計が間違っている。
考察——「奥村くみ」はなぜ別の次元の問いを立てているのか
奥村組の「建設LOVE!奥村くみ」は、本稿でここまで論じてきた「建設CMの限界」を知りながら打ち続けているように見える。そしてその戦略判断に、一定の合理性があることも認めなければならない。
シリーズが7年継続し、2025年には奥村くみが「入社8年目で初の現場所長に就任する」という設定で新展開を迎えた。これは単なるCMではなく、業界内で共有されるフィクションのキャラクターとして育ってきた。奥村組の社員が「奥村くみ」に親近感を持ち、採用担当者が「うちはあんな会社だ」と誇りに思い、社員の家族が「良い会社に入ったんだな」と安心する——この副次効果は、若者の採用数という単一指標では測れない。
しかし、ここに指摘したい核心的な問いがある。
7年間、10億円規模の広告費を投じて、奥村組の有価証券報告書に記録される採用人数や定着率はどう変化したのか。業界内で「参考にしたい」と称えられているCMの、実際の採用効果の数字は、外部には一切公開されていない。「手応えを感じている」という担当者の言葉だけが残る。
これは奥村組の誠実さへの疑念ではない。テレビCMという媒体の構造的な問題だ。数字で効果を示せない媒体に、建設業界全体が数百億円規模で流れ込んでいる。その行き先は確実に、広告代理店とテレビ局の収益として計上されている。
建設会社のCMは「若者向け広告」ではなく「社会向けポーズ」として機能しており、刺さっているのは業界内の仲間と、中高年層と、企業側の自己満足だ。これは批判でも揶揄でもなく、テレビという媒体の特性と、建設業という業界の特性が交差した結果として起きている構造的な帰結だ。
建設会社の経営層、広報担当者へ、いま本当に必要な問い直し
「良いCMができた」と感じた瞬間が、最も危険であることを認識すべきだ。
テレビCMに数千万円を投じた翌年、採用数が微増した。「やはり広告は効く」と判断する前に、一度立ち止まってほしい。その微増は、CMのおかげだったのか。それとも、就活市場全体の動きや、採用担当者の地道な学校訪問や、どこかの社員が投稿したSNSの仕事動画が効いていたのではないか。テレビCMという変数だけを切り出して検証する仕組みが、あなたの会社にあるか。
おそらく、ない。そしてその「測れない」という事実こそが、最大のリスクだ。
ここで一つ、根本的な問いを立て直してほしい。あなたが採用したい若者は、今この瞬間、何を見ているのか。テレビか。スマートフォンのSNSフィードか。深夜に誰かが投稿した現場作業の動画か。答えは明白だ。採用したい相手がいる場所に、あなたの会社はいるか。
若者世代への訴求という観点で言えば、建設業の広報戦略はいま、根本から問い直す転換点にある。テレビCMが「入口の認知」として機能することは否定しない。
しかし認知を得た後、その若者はスマートフォンを手に取り、あなたの会社をSNSで検索する。そこに何があるか。公式アカウントの更新が止まったInstagramと、会社概要しか書かれていない採用サイトだけが残っているなら、テレビCMが作った興味は数秒で消える。
さらに深刻な問題がある。CMで誠実な会社に見せ、現場でその期待を裏切ることの累積コストだ。新卒の3人に1人が3年以内に離職するこの時代、採用コストだけでなく教育コストも失う。1名の早期離職が招く損失は試算によっては200万円近くに及ぶ。「CMで良い人材が来た」という短期の成果と、「入社後に離れていった」という長期の損失を、同じ天秤に乗せて計算している会社は少ない。
では何をすべきか。3つ提示する。
一つ目、テレビCMの予算の一部を「現場の可視化」に使う。重機操作の迫力、測量の精密さ、施工完了の瞬間——これらをショート動画で撮影し、SNSに流し続けることの費用対効果は、30秒のテレビCMより高い可能性がある。編集を磨く必要はない。むしろ磨きすぎたコンテンツは若者世代に見抜かれ、スルーされる。
二つ目、採用コンテンツに「ネガティブな本音」を一つ入れる。「正直、最初の2年はきつかった」という若手社員の言葉は、「やりがいがあります」という10の言葉より信頼される。Z世代は嘘をつかないコンテンツを探している。あなたの会社の若手社員が本音で語れる環境があるなら、それ自体がすでに広報の資産だ。
三つ目、CMの目的を「採用数の増加」から「除外の防止」に再定義する。CMは「この会社を知らないから選択肢に入れない」という状態を防ぐツールだ。それ以上の役割を期待した瞬間、予算の使い方が歪む。「知ってもらうためのテレビ」と「理解してもらうためのSNS」と「決断してもらうための採用サイト」——この三層構造を意識的に設計している建設会社は、まだほとんど存在しない。そこに、競合が手をつけていない余白がある。
正直なCMを作るためには、正直な現場が必要だ。逆説的だが、広報戦略の本質的な改善は、広報部門ではなく現場から始まる。労働時間、休日、配属の透明性——これらが改善されなければ、どれだけ巧みなコンテンツを作っても、入社後のリアリティ・ショックが口コミとして広がり、次の採用を蝕む。CMで理想を盛るほど、現実との落差が際立つ。その落差は今や、SNSとGoogleマップの口コミで可視化される時代だ。
建設業の未来を担う若者を本気で採りにいくなら、テレビの画面よりも先に、現場の解像度を上げるべきだろう。
そして最後に、もう一度だけ問いを置いておきたい。
あなたの会社が今投じているその広告費は、「選ばれる理由」を増やしているのか。それとも、「選ばれない理由」を覆い隠しているだけなのか。この問いに答えられない限り、CMは投資ではなく、コストのままだ。