【27年公開・見学可】高輪築堤跡の現在|高輪ゲートウェイに保存された日本初の鉄道史跡

目次
トレンドワード:高輪築堤跡
日本で初めて開業した鉄道は、海の上を走る「海上鉄道」だったことをご存知でしょうか?
「高輪築堤跡」(たかなわちくていあと)とは、高輪ゲートウェイ駅の工事をきっかけに発見された、日本初の海上鉄道の史跡です。
本記事では、史跡の場所や規模などの概要のほか、出土の経緯や見学予定までくわしくご紹介します。
「高輪築堤跡」とは|概要

ここからは、「高輪築堤跡」の所在地や規模について、港区等の資料をもとにわかりやすく解説します。
所在地

https://www.minato-rekishi.com/pdf/tikutei_04.pdf,参照日2025.12.11
高輪築堤跡の所在地は、港区三田三丁目及び高輪二丁目です。TAKANAWA GATEWAY CITYの敷地内で、高輪ゲートウェイ駅を中心とした約900mの区間に、7つの橋梁が出土しています。
規模

https://www.city.minato.tokyo.jp/documents/112106/20220610gaisetsutakanawachikuteigenkou.pdf,参照日2025.12.11
高輪築堤跡は、TAKANAWA GATEWAY CITYの1~6街区すべての場所で発見されています。
保存計画はこちらをご覧ください。
| 保存計画 | 発見場所 |
|---|---|
| 見学整備 | 2街区(約40m)・3街区(約80m) |
| 土中で保存 | 1街区・2街区・3街区・4街区 |
| 移築 | 4街区(約40m) |
| 解体後、記録保存 | 1街区・2街区・3街区・4街区・6街区 |
| 未定 | 5街区・6街区 |
なお、記録保存される箇所をはじめ、築堤の詳細は点群データで正確な3Dデータが取得されています。この点群データは、今後の保存や展示などに活用される予定です。
構造

https://www.minato-rekishi.com/pdf/tikutei_04.pdf,参照日2025.12.11
高輪築堤跡は、海上に線路を敷くために築かれた堤防の史跡です。具体的には、土砂を埋め立てた上に盛土をし、その表面を石垣で覆っています。見た目にも、四角い石が積み上げられた、比較的傾斜のゆるいのり面が広がっている様子がわかります。
高輪築堤が着工されたのは1870年で、イギリス人技師の指導をもとに建設が進められました。竣工は、正式開業直前の1872年です。海に面していたことから、工事中に築堤の一部が波に流されて崩壊するなど、難工事であったことが伝えられています。
高輪築堤跡はこうした日本初の鉄道開業の歴史を伝える重要な遺構として、2021年に国の史跡に指定されました。長いものでは、4街区で最長約380mに渡って発見されています。
一般公開予定日
一般公開日の予定は、以下をご参照ください。
- 26年春ごろ TAKANAWA GATEWAY CITY「THE LINKPILLAR 2」に築堤ギャラリーがプレオープン
- 27年 築堤ギャラリーにガイダンス機能を整備、築堤公開(予定)
高輪築堤誕生の歴史と出土の経緯
そもそも高輪築堤はどのようなきっかけで建設され、なぜ今まで埋設されてきたのでしょうか。ここからは、高輪築堤誕生の歴史と出土の経緯をご紹介します。
高輪築堤とは、海上鉄道の構造物だった

高輪築堤とは、1872年(明治5年)に開通した、日本で初めてとなる鉄道の橋梁です。路線は新橋・横浜を結ぶ約29kmで、東アジア初の鉄道でもあります。現在、高輪ゲートウェイ駅があるエリアは、明治末からの東京湾埋め立てで造成された埋立地であり、当時はまだ海が広がっていました。
なぜわざわざ海の上にレールを敷いたのか、その理由は、鉄道用地の取得が難しかったためです。鉄道建設は予算が莫大になること、品川の陸上部分には軍用地があったことなどから、海の上を通すという判断になりました。
こうして、高輪海岸から品川停留所までの約2.7kmの区間を海上築堤とし、高輪築堤が建設されました。
高輪ゲートウェイの工事中に出土
高輪築堤は明治時代に建設された後、大正時代にかけての東京湾埋め立て工事により地中深く埋設されました。そして、この度の高輪ゲートウェイ駅の工事で約100年ぶりに発見され、大規模な発掘が行われました。
最初の発見は2018年で、高輪築堤の石垣の一部が発見されています。その後、港区教育委員会教育長から、本工事の工事事業者である東日本旅客鉄道に要望書が提出され、保存されることになりました。

2022年には、石垣の一部が佐賀県立博物館に移設・展示されることとなりました。屋外展示場にて、多くの来館者が高輪築堤の歴史を感じられるよう公開されています。
高輪ゲートウェイ建設工事への影響は
高輪築堤跡が出土したことで、高輪ゲートウェイ駅建設工事にはどのような影響があったのでしょうか。
JR東日本にとって、高輪築堤は日本初の鉄道の歴史を物語る貴重な遺構です。さらに、2023年に国の史跡にも認定されました。こうして保存に向けての計画が進められ、TAKANAWA GATEWAY CITYの計画の一部が変更されました。
建物の配置が当初の計画から変更され、橋梁部は文化創造棟「MoN Takanawa: The Museum of Narratives」をはじめ各街区で現地保存されることになっています。また、複合棟「THE LINKPILLAR 2」には築堤ギャラリーが整備され、第7橋梁部が見学できる計画です。
高輪築堤跡の見学はいつから?

https://www.bunka.go.jp/prmagazine/rensai/news/news_003.html,参照日2025.12.11
高輪築堤跡の見学は、TAKANAWA GATEWAY CITYがオープンする2027年公開予定となっています。
2街区 文化創造棟「MoN Takanawa: The Museum of Narratives」
2街区で発見された約40mの築堤は現地保存され、「MoN Takanawa: The Museum of Narratives」の2階・3階テラスから見学できる予定です。(上記画像 左)
また、周辺に回廊を設けてより間近から見られるようにするほか、隣接する公園からも眺められるようにし、違いのある見え方を楽しめる予定です。
3街区 THE LINKPILLAR 2
3街区で現地保存される約80mの築堤(第7橋梁部)は、複合棟のデッキから見学できるように整備される計画です。(上記画像 中央)
さらに、整備予定のプロムナードや区画道路からも見学できるようになるなど、あらゆる高さ・視点から眺められるようになる計画です。
4街区 THE LINKPILLAR 1(NORTH・SOUTH)
4街区で発見された約30mの部分(信号機土台部含む)は、高輪ゲートウェイ駅前広場に移築・復元され、公開される予定です。(上記画像 右)
信号機に触れたり、築堤の上部に乗って仕組みを体感できるほか、ARによる歴史の体験学習機能が整備される予定です。
まとめ
高輪築堤跡は現在、保存状態を安定させるため、発掘前の状態に埋め戻されています。今後は欠損部分を再現するため、レール・橋梁・築石などの再現が検討されています。
日本初の鉄道の歴史が感じられる、遺構の公開が楽しみですね。