世界遺産における近代建築群|20世紀建築はいかにして人類の文化的遺産となり得たのか?

コンクリート、ガラス、鉄骨。これらの素材が20世紀に引き起こした建築革命は、いま世界遺産という文化的聖域に到達している。

パラダイムシフト──世界遺産が書き換えた時間軸

1994年、タイのプーケットで開催された第18回世界遺産委員会は、歴史的な決断を下した。「世界遺産リストの代表性、均衡性、信用性のためのグローバル・ストラテジー」──この宣言は、世界遺産制度そのものを再定義するものだった。

1972年に世界遺産条約が採択されて以来、世界遺産は「大自然や歴史ある遺跡を保存するもの」という固定観念に支配されていた。1991年時点で、世界遺産登録件数358件のうち、ヨーロッパの19世紀までのキリスト教関連建造物が圧倒的多数を占めていた。この偏重が、文化遺産の多面的かつ広範な視野を狭めている──ユネスコは明確にそう指摘した。

グローバル・ストラテジーは、3つの新たな分野に注目を求めた。文化的景観、産業遺産、そして20世紀建築。それは、世界遺産を「もの」として類型化するアプローチから、広範囲にわたる文化的表現の複雑でダイナミックな性質に焦点をあてたアプローチへの移行を意味していた。

数字が示す革命の軌跡

2025年7月現在、世界遺産総数は1,248件に達している。そのうち文化遺産は971件。この膨大な数の中で、20世紀建築が占める割合は決して多くない。しかし、その影響力は数字を遥かに超えている。

1987年、建築からわずか30年しか経っていないブラジリアが世界遺産に登録された。これは異例だった。2000年、オランダのシュレーダー邸(1924年築)が世界遺産となった。2001年、トゥーゲントハット邸(1930年築)が登録された。2007年、シドニー・オペラハウス(1973年竣工)が世界遺産リストに加わった時、設計者ウッツォンはまだ存命だった。

そして2016年、ル・コルビュジエの建築作品群が三大陸7カ国にまたがる17資産として一括登録された。2019年、フランク・ロイド・ライトの8作品がアメリカ初の建築分野での世界遺産となった。

これらの登録は、建築家個人の業績を顕彰するものではない。ユネスコが求めたのは「顕著な普遍的価値」──20世紀という時代が人類に何をもたらしたのか、その証拠としての建築だった。

 ICOMOSが提唱した「リビングヘリテージ」

2010年代、世界遺産の専門諮問機関であるICOMOS(国際記念物遺跡会議)内部で、20世紀を対象とする専門委員会が新しい概念を提唱した──「リビングヘリテージ」。文化遺産として使い続けることの重要性だ。

これは革命的な転換だった。伝統的な文化遺産保護では、建築物をできるだけ凍結保存することが理想とされてきた。1964年の「ヴェニス憲章」が示したヨーロッパの理念も、基本的にはそうだった。

しかし20世紀建築は、多くが現役の施設として使われている。オフィスビル、美術館、大学、住宅──それらは「絵画や彫刻のように凍結しているもの」ではない。そこで人々が働き、暮らし、日々の空気や光が巡っている。公と個、歴史と日常。このバランスこそが、20世紀建築の本質だった。

1990年に設立された「DOCOMOMO(Documentation and Conservation of buildings, sites and neighbourhoods of the Modern Movement、モダン・ムーブメントにかかわる建物と環境形成の記録調査および保存のための国際組織)」は、20世紀建築の保存・調査を専門とする世界唯一の国際組織だ。2010年代から、この組織の性格は大きく変化した。学術的な研究機関から、設計実務を行う建築家、保存修復家、構造技術者、施工技術者、社会学者などによる、「緩やかな保存=活用」を目指す組織で、「リユース(再利用)」と「持続可能性」をキーワードに掲げている。

モダニズムという名の反逆

1887年にスイスで生まれたル・コルビュジエは、パリを拠点に近代建築の基礎を築いた人物だ。彼が提唱した「近代建築の五原則」──ピロティ、自由な平面、水平連続窓──は、19世紀以前の伝統的な様式建築への明確な批判だった。

2016年7月、フランス、スイス、ベルギー、ドイツ、アルゼンチン、インド、日本の7カ国にまたがる17の構成資産が、「ル・コルビュジエの建築作品─近代建築運動への顕著な貢献─」として世界文化遺産に一括登録された。三大陸を横断する初の世界遺産だ。東京・上野の国立西洋美術館本館は、「無限成長美術館」構想に基づき、展示空間がらせん状に配置され、収蔵作品が増えても外側に増築できる設計となっている──これは建築の思想そのものだった。

バウハウスの実験

1919年、ヴァルター・グロピウスの手によってヴァイマールに建設されたバウハウスは、ドイツのモダニズム建築に重要な影響を及ぼした建築学校だ。1925年から26年にかけてデッサウに建てられた校舎は、コンクリートとガラスを多用した斬新なデザインで、壁一面をガラスで覆う技術が一般化する1950年代より30年も早く実現していた。

パウル・クレーやワシリー・カンディンスキー、ミース・ファン・デル・ローエといった近現代アートの巨匠たちがここで教鞭をとった。だが1932年、ナチス党によって「非ゲルマン的」とのレッテルを貼られ、バウハウスは閉校に追い込まれる。わずか14年の存在。しかし、その遺産は世界中に拡散した。

ガラスの邸宅、思想の結晶

1928年から1930年にかけて、チェコのブルノに建てられたトゥーゲントハット邸は、ミース・ファン・デル・ローエの代表作のひとつだ。ミースはこの邸宅で「自由な平面」の概念を発達させた──食堂、書斎、サロンといった機能的空間が、仕切りなく決定されるという考え方だ。

施主が細かなリクエストをしても、ミースは「反対するのなら、この仕事はできない」と言い放ち、頑なに自分の方針を貫いた。床から天井まで通しの建具に夫妻が懸念を示すと、彼は「それが受け入れられないならば設計を降りる」と応じた。これは妥協ではなく、建築哲学の貫徹だった。

2001年12月、トゥーゲントハット邸はユネスコの世界遺産に登録された。

有機的建築、空間の魔術

2019年、フランク・ロイド・ライトの8つの建築作品が「フランク・ロイド・ライトの20世紀建築作品群」として世界遺産に登録された。ライトが提唱した「有機的建築」は、自然と人間の調和を図る思想で、自然環境と建築の融合を目指した。

1936年にピッツバーグ郊外で建てられた「落水荘」は、滝の真上に配された住宅で、水平ラインを強調したプレイリースタイルの傑作だ。建築は自然に対立するのではなく、自然と対話する──ライトの思想は、21世紀のサステナブル建築にも通じている。

白い帆、不可能への挑戦

1956年の国際設計コンペで、デンマーク人建築家ヨーン・ウッツォンの設計案が選ばれたとき、彼はまだ無名だった。そのデザインは当初「実現不可能」とまで言われた。シドニー湾に突き出たベネロング岬に立つこの総合芸術劇場の建設は、14年の歳月と当初予定を大幅に超える費用を要した。

ウッツォンは建設途中で現場を去った。建設期間や費用の折り合いがつかなかったためだ。彼は二度とオーストラリアに戻ることなく、完成したオペラハウスを自分の目で見ることはなかった。

それでも2007年、シドニー・オペラハウスは世界遺産リストに登録された。「人類の創造的資質を示す傑作」という、ただひとつの基準だけで。これは極めて異例だ。

時間軸を破壊する建築

シドニー・オペラハウスが世界遺産登録された2007年当時、設計者ウッツォンはまだ存命だった。建築家が生きている間に世界遺産登録されることは、極めて稀だ。1973年に竣工したシドニー・オペラハウスは、もっとも新しく建築された世界遺産でもある。

世界遺産は通常、数百年の時を経た建造物を対象とする。だが近代建築は、そのルールを書き換えた。「20世紀の建築物」の登録推進は、ユネスコが1994年に示した世界遺産不均衡是正の指針「グローバル・ストラテジー」に掲げられた方針だ。

コードが変える都市の未来

ブラジルの首都ブラジリアは、1960年代に何もない高原に建築家ルシオ・コスタとオスカー・ニーマイヤーによって作られた人工都市だ。1987年、建築から30年も経っていなかったにもかかわらず世界遺産に登録された──これは異例だったが、20世紀を代表する建築群であることが認められた。

都市そのものをデザインする。これは単なる建築ではなく、社会実験だった。

日本の挑戦──モダニズムの系譜

日本の近代建築も、この世界的潮流と無縁ではない。ル・コルビュジエの3人の弟子──前川國男、吉阪隆正、坂倉準三──が日本にモダニズム建築を花開かせた。さらに前川國男の弟子である丹下健三は「世界のタンゲ」と呼ばれ、日本のモダニズム建築を国際的な水準に押し上げた。

2021年、代々木競技場(1964年築)が重要文化財に指定された。2022年、香川県庁舎(1965年築)が続いた。2021年には木村産業研究所(1932年築、前川國男設計)も指定された──日本最初期のモダニズム建築だ。

戦後の建築が重要文化財に指定されるペースは、コンスタントに加速している。それは単なる保存ではない。「なぜそこにあるか」という必然性──この土地に存在し、この機能を担うからこそこのかたちである──を伝達することで、土地の地理的特性、人々の思想、その土地がどのような20世紀を過ごしてきたのかを、未来に継承する試みだ。

唯一の世界遺産──国立西洋美術館という特異点

2016年7月17日、東京・上野の国立西洋美術館本館が世界文化遺産に登録された。これは日本にとって特別な意味を持つ登録だった。

基本設計を担当したのはル・コルビュジエ。だが、実施設計・監理を担ったのは、彼の3人の弟子、前川、坂倉、吉阪だった。1959年3月に竣工したこの建築は、インド以東、アメリカ以西に唯一現存するコルビュジエの作品だ。

世界遺産登録には、通常とは異なる経緯があった。日本国内にある文化遺産を外国政府(フランス)が推薦したのは史上初。さらに、築48年の時点で重要文化財に指定されたのも異例だった──従来「築50年以上」が目安とされていたルールを超えた初のケースだ。世界遺産登録のためには当該物件が所在国の法律によって保護されていることが前提であるため、急遽指定された。

「無限成長美術館」構想に基づき、展示空間がらせん状に配置され、収蔵作品が増えても外側に増築できる設計──これはコルビュジエの思想そのものだった。

日本人建築家の不在の理由

国立西洋美術館は世界遺産だが、それは「ル・コルビュジエの建築作品」の構成資産としてだ。実施設計・監理を担った前川、坂倉、吉阪の名は、世界遺産としては表に出ない。

では、日本人建築家単独での世界遺産登録の可能性はあるのか。

前川は、東京文化会館(1961年)、東京都美術館(1975年)、埼玉県立博物館(1971年)など、戦後日本を代表する公共建築を数多く手がけた。丹下は、広島平和記念資料館(1955年)、国立代々木競技場(1964年)、東京都庁舎(1991年)など、日本のモダニズム建築の金字塔を残した。

特に広島平和記念資料館は、2006年に重要文化財に指定され、DOCOMOMO Japan選定のモダニズム建築100選にも選ばれている。原爆ドーム・慰霊碑・資料館を一つの軸線上に配置し、ピロティで視線を通す──丹下が追求したモダニズムの極地であり、「世界のタンゲ」の名を確立した記念碑的建築だ。

だが、これらの建築が世界遺産になる可能性は、現時点では見えていない。

フランク・ロイド・ライトの残照──ヨドコウ迎賓館

兵庫県芦屋市に、残念ながら日本人建築家作ではないものの、一つの可能性がある。旧山邑家住宅──通称ヨドコウ迎賓館だ。

1918年にフランク・ロイド・ライトが設計し、1924年に竣工したこの住宅は、ライトが日本で設計した住宅建築としてほぼ完全な形で現存する唯一の作品だ。1974年、大正時代以降の建造物として初めて、かつ鉄筋コンクリート建造物としても初めて国の重要文化財に指定された。

2019年、ライトの8作品がアメリカで世界遺産に登録された時、ヨドコウ迎賓館は「将来的な追加登録候補」に挙げられた。2024年5月には敷地全体が重要文化財に追加指定され、竣工100年、主屋の重要文化財指定50年という節目に、新たな文化的価値が認められた。

六甲山地の傾斜地に則して階段状に建てられた4階建て。大谷石を多用した装飾、幾何学模様の飾り銅板約200枚、120個の採光用小窓──ライトの「有機的建築」思想が凝縮されている。

だが、追加登録は決して自動的に進むものではない。文化審議会の審査、ユネスコへの推薦、世界遺産委員会での承認──長い道のりが待っている。

「わかりにくさ」という障壁

近代建築への興味関心は相対的に低い。20代男性で約60%、40代男性や40〜50代女性で45%程度にとどまる。歴史的建造物(87%)や集落・街並み(62%)と比較すると、その差は明白だ。

高年齢層にとっては、自身の生活の中で身近に接してきた建築物であるからこそ、「見るべき文化財」として認識しにくい。懐古的なロマンチックさも、装飾的な派手さもない。視覚的な価値の「わかりにくさ」が、20世紀建築を文化資源として見ることを難しくしている。

2016年11月、国内で「近代建築ツーリズムネットワーク」が設立された。ル・コルビュジエを起点として、前モダニズム建築の価値を市場に浸透させ、観光資源として活用することで、『みるべきもの』として意識転換させ、保存へと繋げる活動を推進している。

建築のインタープリテーションを行う人材のスキルが、極めて重要になる。建築や建築家に関する詳細な知識を伝達するのではなく、「建築の見かた・面白がりかた」そのものを伝えること。現代建築の祖とも言えるモダニズム建築を身近に感じさせながら、今はできない技術的な粋、そのカッコよさに気付かせること──が鍵になる。

建築は思想の結晶であり、時代の証人だ

世界遺産登録は明確なメッセージだ──これらの建築は、文化的価値を持つ。近代建築運動は、20世紀を通じて全世界規模で広がり実践された。コンクリート、ガラス、鉄骨。これらの素材は、新しい社会の求めに応じた空間を創造するためのコードだった。

1994年のグローバル・ストラテジー採択から30年。世界遺産制度は、時間軸を拡張し続けている。100年と経っていない建築物の普遍的価値を認める──それは、「遺産」という概念の再定義だった。

そして、そのコードは今も進化し続けている。世界遺産となった近代建築は、過去の遺物ではなく、未来への羅針盤なのだ。使い続けること、適応させること、対話すること──リビングヘリテージという思想が示すのは、建築が単なる「もの」ではなく、時代とともに呼吸する生きた文化であるという事実だ。

20世紀建築の保存とは、モノを凍結することではない。共感と想像力によって、建築に込められた精神を未来に繋げることだ。それこそが、世界遺産登録という行為が持つ、最も深い意味なのだ。